トラファルガーの敗北の前からもうナポレオンは、陸軍のほうに頭を切り替えていた。彼の壮大な「大陸軍」は50万人の兵員を考えており、男子の30%が徴兵されることになる。その目的は、全欧にわたる封建の打破であり、自由に焦がれる啓蒙的知識人からはまだ支持が得られていただろう。
1805年9月10日、オーストリア軍は仏同盟国バイエルン攻撃のため、ドイツ南部のウルム要塞に進軍した。ナポレオンは、バイエルン救援を名目として軍を起こした。約20万の兵隊が、ストラスブールよりライン渡河して、一旦北に行って欺き、ダニューブ川沿いに各軍単独で急行して合流する神業である。
要塞の墺軍が、南から来るはずの仏軍が背後から迫っているのがわかったときには遅かった。援軍のロシア軍の進路も仏軍が立ちふさがることになっていたのである。10月20日、いくつかの戦闘はあったものの、墺軍は降伏し、仏軍には6万人分の武器弾薬兵糧が手に入った。
11月12日に首都ウィーンが降伏、ナポレオンはロシア軍を叩くべく、チェコに向かって進軍するが、準備不十分なロシア軍はひたすら逃げまくる。追ううちに、兵站線が伸びまくり、20万人の仏軍は、8万人に減った。冬を迎えると撤退しなければならないナポレオンは、決戦を望んでいた。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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