ナポレオン26-アウステルリッツ三帝会戦

ナポレオンは罠を仕掛ける。追撃を止め軍をアウステルリッツまで撤退させ、ロシア皇帝に停戦の手紙まで書いたのだ。その実各地の仏軍を呼び寄せる手はずを整え、アウステルリッツの地形を完全に把握していた。おびき寄せは信長の設楽が原のようだが、果たしてここまでやったかどうか。

露帝も墺帝もまんまとひっかかった。フランツ2世は首都を蹂躙されたし、アレクサンドル1世は、帝位簒奪の懸念をここで一掃したかった。現場将校達は、もっと増援が来ないと決戦は不安だと言っていた。なんと念を入れて最後はナポレオン自身、不安そうな素振りで交渉に出たのだ。

1805年12月2日、戦いは濃霧の中で始まった。露墺連合軍は、手薄にした仏軍右翼に攻撃した。露将軍クトゥーゾフは、中央のプラッツェン高地を動かなかったが、露帝が攻撃に参加させた。それを見たナポレオンは、高地への移動を命じ「ただ一撃でこの戦争は終わる」と言った。

丘を登る仏軍の前に霧が晴れ、勝利を祝福するようにアウステルリッツの太陽が見える。中央の拠点を取られた連合軍は分断され、露近衛兵が投入されて奮戦するも、ナポレオンも親衛隊を投入して激戦を勝利に導いた。連合軍の死傷者15千人に対し仏軍は8千人だった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。