実はフーシェらは、ナポレオンをフランス王とする運動を起こしていた。「王殺し」の異名がついたフーシェとしては、ブルボンの復活こそ忌むべきことだった。しかしフランス王としては、侵略した領土を返還せねばならない。ナポレオンは、その土地は自分の兵隊の血によって得た地だと思っていた。
エジプトへ侵入したときも、彼の目標はアレクサンダーになることだった。歴史ヲタのナポレオンは、古代の帝王にあこがれていた。彼のモデルは、古代ローマの皇帝であり、民衆から選ばれ、民衆のための国をつくる帝王だった。王という名が出るやいなや彼はローマ皇帝を選んだわけだ。
実際当時ナポレオンは、上下ネーデルランド、北イタリアを実質支配しており、皇帝を名乗るには何の問題もない。それをかぎつけたフーシェは、自分の復権のためにも議員にあちこちと得意のささやき戦術で、皇帝をにおわせた。1804年5月フーシェらの努力で、元老院より皇帝の発議を行う。
そして皇帝に賛成した者がもう一人居る。ローマ教皇ピウス7世である。彼はナポレオンに、神のもとでヨーロッパを統一したカール大帝を見ていたのである。実はカール大帝もナポレオンは十分意識していたのだ。歴史の夢想から皇帝ナポレオンは誕生するのである。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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