1804年12月2日、ナポレオンの皇帝戴冠式が挙行された。教皇ピウス7世は、そのひと月前からフランスに出かけ、各地でミサを行った。フランスにカトリックが復活したデモンストレーションである。そのクライマックスがナポレオンの戴冠のはずである。フランスの伝統では教会が王に戴冠する。
その昔のカール大帝の称号は西ローマ皇帝だった。フランク王国が分裂すると、オットー1世に戴冠し、神聖ローマ帝国を創った。東ローマは滅亡しており、東の神聖ローマと西のフランス皇帝で正統キリスト教の権威が復活するだろう、教皇はそう夢見ていた。
戴冠式当日、午後1時から戴冠ミサは挙行された。教皇は、ナポレオンとジョセフィーヌの手と額に聖油を塗油し、指輪とシャルルマーニュの剣、マント、王笏、を授けた。そして最後に帝冠を被せようとすると、ナポレオンは自ら手にとって頭にかぶり、皇后ジョセフィーヌに自分の手で被せた。
教皇はナポレオンの権威に利用されたが、半年間フランスに滞在して、教会復興に努めた。ナポレオンは自分を中心に戴冠式を描くよう画家ダヴィッドに指示し、幅10m高さ6mの大作は完成まで3年以上かかった。そしてこの後、皇帝と教皇は対立していくことになる。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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