コンスタンティヌスは、軍事的勝利に彩られているが、先頭に立って指揮すると共にかなりの戦略家だったようだ。蛮族との戦いでも撤退・陽動戦術を駆使し、また敵を温情をもって扱うので無血勝利もあったという。尊大ぶるところもなく、人の意見はよくきいた。属州からの使者にも自ら会っていた。
皇帝は文芸を好み、宮殿に詩の神ムーサ像を建てていた。また医術や建築にも興味を抱き、息子にはトップクラスの教師をつけた。キリスト教だけでなく、哲学、法学もよく学んだという。古今名君とはこのような人物なのだというのは間違いない。
彼は、西方の皇帝となってから、法律の制定に熱心にとりくみ、それらは後に「テオドシウス法典」として編纂されることになる。特に裁判制度の公正化に努めたようだ。さらに女性への財産の平等な相続が記され、孤児への支援が行われた。十字架刑は禁止され、後に剣闘士試合も禁止された。この慈善的な施作には母とキリスト教の影響が見られる。
また皇帝は、トリーア時代から貨幣鋳造を行い、経済の発展に努めた。ローマ時代の歴史家によれば、最初の10年はローマの最高の皇帝に匹敵すると賛辞されている。しかし彼は西の賢帝で納まる気はなかったろう。ローマ帝国の統一をめざして、いよいよリキニウスの東方軍と10年に渡る戦闘をくり広げることとなる。
下はコンスタンティヌスが編さんしたローマ法の碑文
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント