人間はやっかいなもので、集団で活動するにはその共通コードが必要となる。ところが異なる集団コードが一緒になるとやっかいだ。例えば現在起きているイスラムのスカーフ問題などである。コンスタンティヌスの時代のローマはキリスト教だけでなく、東方のミトラ教はあるわ、北方のドルイドはあるわ多文化の混在時代だった。
コンスタンティヌスは共存は認めたが、帝国を維持するには共通コードを建てる必要がある、それにはローマの神々は不適当だし、神官とローマ貴族は結託している。その点キリスト教は極めて穏当だった。何よりも聖典があるのがはっきりしている。彼は、キリスト教の守護者となるために、その統一に積極的に介入する。
さっそく314年、アルルでキリスト教会議が開かれた。これは迫害の後始末とも言えるもので、迫害で一旦棄教した者の秘跡が有効か、という問題だった。一旦棄教した者はもう一度洗礼を受けねばならないというお堅い派を「ドナトゥス派」という。
それを言いだすと、教徒同士ほじくりあって諍いとなることを心配したコンスタンティヌスは、ドナトゥス派に反対して決済した。彼はうまくいったと思ったのか、やっかいと思ったのかは知らないが、この後キリスト教最大の問題「三位一体」について裁断することになるとは思っていなかっただろう。
下はドナティウス派と論老する聖アウグスティヌス、この公会議だけでは決着がつかずまた論争することになった
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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