大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ-19決戦

316年、ついにコンスタンティヌスとリキニウスの間で戦端が切られた。きっかけはコンスタンティヌスが妹を与え副帝を予定した男に、リキニウスからも副帝の誘いをかけ、コンスタンティヌスに陰謀を謀ったとのことだった。リキニウスの元に逃げた男を、コンスタンティヌスは討伐の名目で攻め込んだ。

初戦はクロアチアのキバリエで行われ、6時間も続く激闘であったが、最後がコンスタンティウスの右翼からの騎馬突撃が勝負を決した。リキニウス軍は、シルミウムの戦いでも敗れた。翌317年、ブルガリアのマルディアで両者は対戦、これも夕刻まで続く激闘であったが、コンスタンティヌスが勝利、しかしリキニウスも決定的敗北は食い止めた。

このとき、リキニウスの妃となっていたコンスタンティヌスの異母姉のコンスタンティアが、和平を提案。彼はそれを受けて、原因となった男を処刑、リキニウスはトラキアを除くヨーロッパから手を引き、小アジア以東を領地とすることとなった。また、コンスタンティヌスの息子2人、リキニウスの息子1人の計3人を副帝とすることで決着した。

もはや領土的には風前の灯のようなリキニウスだったが、コンスタンティヌスも和睦したのは理由があった。後にコンスタンティノープルとなる都市ビザンティオンはリキニウスの本拠地であり、ここを攻略するには海軍力が足りなかった。それに北方の蛮族を放りだして、ローマ軍をいつまでも消耗させるわけにもいかなかった。

下はルーベンス作「コンスタンティヌスとリキニウスの戦い」

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。