大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ16-勅令

ミルウィウス橋の戦いが10月、その翌年313年2月にはもうコンスタンティヌスはミラノに入る。3月、ここで東方皇帝リキニウスとの同盟の証として異母妹のコンスタンティアを嫁にする。そのときに2人で出されたのが歴史的に超有名な「ミラノ勅令」である。これは帝国全体に信教の自由を保障した宣言であり、キリスト教だけではない。

しかし前のガレリウスと違うのは、キリスト教は迫害した教会財産を回復したということである。つまり国家賠償をしたわけである。東方ではリキニウスに対立するマクシミヌス・ダイアが、まだ迫害を続けていた。つまり討伐の理由でもあった。この同盟に焦ったマクシミヌス・ダイアは、迫害を中止、前正帝ガレリウスの妃を嫁にしようとして失敗、4月30日にリキニウスの領土の小アジアに攻め込んだ。

リキニウスは、待ってましたとばかり会談を中座して、軍を動かし、ツィラッルムの戦いに勝って、敵を自殺に追い込んだ。これによって西はコンスタンティヌス、東はリキニウスの2人が別々の皇帝となったわけである。

塩野七生などは、このミラノ勅令を、現代のような宗教の自由宣言と評価しているが、過大評価もええとこである。これはあくまで、ローマ的多神教の布教の敗北であって、統一的なイデオロギー抜きに、この帝国を維持できるわけがないのである。それは現代でもイスラムヘイトに西洋が揺れているのを見てもわかる。これ以降、キリスト教が皇帝の庇護のもとに普及してゆき、新たなイデオロギー闘争が起こる。

下はミラノ勅令

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。