ナポレオン17-救国の英雄が出現する

独裁者は公共事業が好きだ。平和な期間を利用して、ナポレオンは「どの都よりも美しい都にする」とパリ中心部の改造を行う。フランス革命では所有権が侵害されない、とされたが、国のためならば除外。革命以前からあったスラム街が一掃され、道路が整備され、セーヌ川に橋が架けられた。

公共事業や軍隊で、大規模な雇用が生み出され、生活が改善され、不満が沈静化された。近代でこの手法を使ったのはナポレオンが最初かもしれない。観光客で賑わうリヴォリ通りアーケードを作ったのは彼である。そしてこの後3世も同じパリ大改造を行うわけだ。

一番パリの役に立ったのは、ウルク川から100㎞の運河をつくって水をもってくることだった。工事は1802年に着工されたが、戦争による人出不足で遅れに遅れたが、1808年に完成し、アウステルリッツの戦勝記念にあわせて大々的なセレモニーが行われる。パリの30%はこの運河の水でまかなわれた

1803年、オルレアン市長が、地元の英雄ジャンヌ・ダルク像建設の許可をもらいに来た。そのときナポレオンは「フランスの危機には必ず英雄が現れる」と言って、ジャンヌを新聞で宣伝する。ジャンヌは神に遣わされたというが、啓蒙主義の手前、自分ではいえないが、自分もそうだと民衆にほのめかす。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。