ナポレオン16-終身統領就任

1801年オーストリアとリュネヴィルの和約が結ばれ、北イタリアとライン左岸がフランスの属国となり、大陸の戦争は一時終結。ナポレオンは自分の体制を整備する。1800年にはフランス銀行を確立、亡命貴族を赦免し、帰国を促す。全国知事制度をつくって知事を任命し、政府の徴税使が税を徴収した。

まあフランスの中央集権は、ナポレオンによって完成されたのである。帰国した貴族はブルジョワとなって、経済に嵌っていく。そして01年ローマ教皇ピウス7世と、政教和約コンコルダートを結ぶ。02年3月にはイギリスとアミアン和約で講和し、復活祭をなんとテ・デウムで祝ったのだ、

そして彼は、レジオンドヌール勲章を創設。反対者には「勲章なしにやっていけた共和国があるなら言ってほしい」と言った。ナポレオンは権威の効果を熟知して利用した。02年5月8日、元老院は、ナポレオンの任期を10年延長することを提案した。しかしナポレオンはすぐ引き受けない。その意を忖度して終身統領が提案され、国民の意志があれば、と言う。

6月に国民投票で終身統領が決定され、第一統領の権力が大幅に強化された共和暦10年憲法が採択された。ナポレオンは革命の成果を確立するために自分の独裁が必要だったと後に弁明している。しかしそれは新たな帝王の道だった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。