ナポレオン18-美食王国の始まり

ナポレオンの登場で、ようやく安定政権が生まれ、パリを変えていくのを見た市民は、平常の暮らしを取り戻す。パリ改造と共に増えたのがレストランである。これは革命で貴族の屋敷を解雇されたシェフが、街中で開業してできたものだ。この名前の身体によいブイヨンスープが流行ったことからついたようだ。

そして美食家なるものが登場する。グリモ・ド・ラ・レニエールは、「饗応の手引き」で、ブルジョワのための食事マナーを教え、「味の裁判官」をもって、有料で「美味認可証」を発行、またミシュランガイドの先駆けともいうべき、「食通年鑑」を毎年発行した。

さらに市民がコーヒーを飲む「カフェ」も流行した。もともとこの名前はトルコ語でコーヒーを意味する言葉から出て、1554年には、コンスタンチノープルで歴史上初のカフェができた。1643年にはヴェネツィアで欧州発のカフェができ、1683年のオスマンのウィーン包囲後、ウィーンでカフェが始まる。

その後、ヨーロッパの都市にカフェができ、啓蒙主義者がたむろして交流する拠点となって文化が生まれた。ナポレオンもコーヒー愛好者で、軍隊の飲み物にコーヒーを採用した。出世の糸口となったバラスとよく会っていたのもカフェである。しかしこの後ナポレオンはコーヒー文化に大打撃を与える。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。