苦悩と歓喜3-ハイリゲンシュタットの遺書

ベートーヴェンが難聴に気づくのは1800年30歳の頃である。この年の4月2日に交響曲第1番を初演し、本格的な作曲家としての歩みを始めたばかりである。新聞の批評は「管楽器を使いすぎ、それが突出しすぎて吹奏楽のようだ」と書かれた。しかし後の特徴となる力強さが表れている。

ベートーヴェンはピアニストとして有名になり、多くの弟子がつき、生活も楽になってきた。バレエ音楽「プロメテウスの創造物」を書くことで、劇場音楽にも進出し、評価が得られることになった。当時はなんといっても、オペラや劇場音楽を書くことが名声への道だった。

さらに何と14歳の女性に恋をする。伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディ、「私は彼女を愛し、彼女も私を愛している、しかし残念なことに身分が違う」と手紙に書いている。そして彼女に捧げられた曲が有名なピアノソナタ14番通称「月光」である。この名称は他人が付けたものだが、ロマンチックなムードに溢れている。

しかし翌02年には難聴が酷くなり、10月に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書くことになる。彼は自分の苦しみの死による救済を願ったこともあるが、「死よ望むときに来るがよい。お前に立ち向かおう」と決意する。意志による苦悩からの勝利というテーマはこのときに出来たと言ってよい。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。