ナポレオン13-カトリックとの政教和約

北イタリア再平定後ナポレオンはパリに帰還するが、その途中で驚くべきことを行う、それはカトリックとの和解提案だった。すでに6月5日にミラノでナポレオンは、教皇の和解を望むと演説をしていた。その提案とは、司教任命権をヴァチカンに返すということだった。ただし人選は政府が行い、政府に忠誠を誓う。

ぶっちゃけ彼は「エジプトに居るときはイスラム教徒だった」と言っている。アンリ4世も、統治のためにカトリックに改宗した。さらに彼の大おじは副司教であり、コルシカ島の幼年期でカトリックに違和感がない。歴史に博識な彼は、教会の強さを知っており、民衆統治のために利用せねばと思う。

当時の教皇ピウス7世は、前教皇がヴァランスで幽閉されて崩御した後、ヴェネツィアで選任された。教皇は「民主主義政体は福音書と矛盾しない。それどころかイエスキリストの至高の徳を要求する」と説教する啓蒙主義者だった。そして彼はローマに帰還して、カトリック改革に乗り出す。

ナポレオン側で、この交渉を担当したのが、ナポレオン以後も政治家として活躍するタレーランである。彼は実は聖職者で、ルイ16世にオータン司教叙階を受けたが、国民議会派になり、司教を辞めて、教皇より破門される。実にプラグマティストでナポレオンとうまが合う。翌1801年政教和約コンコルダートが成立した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。