ナポレオン12-アルプス越えイタリア侵攻

1800年5月、ナポレオンは、アルプス越えでイタリアに進撃することを思いつく。そうすればミラノとトリノの墺軍は背後をつかれることになる。しかし軍だけでは意味がない、大砲を携えて行軍しなければならない。有名なサン・ベルナール峠は、かのカール大帝も戴冠式の帰りに通った。

天候も大問題だが、そこを越えてから降りる縁に、堅固なバール要塞がある。ここは勇猛なクロアチア人が守り、13日も持ちこたえ、そのうちにイタリア情勢が緊迫、ナポレオンは先に大砲15門だけを持ってミラノに行かざるをえなくなった。ミラノを再占領したのは6月2日だった。

墺軍はジェノバを落とし、仏軍に決戦を挑もうと東進する。しかしナポレオンは、墺軍が撤退路を探していると間違えて、兵力を分散させて西進した。アレッサンドリア近くのマレンゴに進んでいる墺軍を全く気付かなかった。6月14日マレンゴの戦いの緒戦は仏軍はまるで不利だった。

敗色濃厚な仏軍は撤退準備をしていた。勝利を確信した老司令官メラスは指揮を参謀に任せ、皇帝への報告に帰っていった。そのとき31歳の若将軍ドゼーがようやく合流した。ドゼーは、撤退を援護すべく、正面突撃を行った。墺軍はパニックになり、ケレルマンの騎兵隊が背後を突いて辛勝した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。