ミルヴィウス橋の戦いは、これまで迫害されてばかりであったキリスト教側の初めての聖戦として記録されるだろう。出現したというキリストは盾に防御の印を与えて、攻撃のものは与えていないので、これは教えにはずれているとはいい難い。十字軍などになれば異教徒にキリスト教を広める戦いは「聖戦」となるのであるが、そこまで言っていない。
しかし現実には「勝てば官軍」。ローマに入ったコンスタンティヌスは元老院に掌返しの歓迎で迎えられた。正式に「正帝」と認められ、有名な「コンスタンティヌスの凱旋門」の建設が決められた。この凱旋門は高さ21m、幅25.7m、奥行き約7.4mでローマ最大。しかしパネルなどは、ハドリアヌス、、マルクス・アウレリウス、さらにトラヤヌスそれぞれの凱旋門から取ってきてつけたものである。
この歓迎に反して、コンスタンティヌスは、ローマ神殿に凱旋の奉納イベントを行わなかった。これも微妙なことで、彼がキリストの加護を信じていた、というよりも、主力のガリア兵達が、ローマの神々を信じていなかったからだろう。士官クラスにはキリス教徒はいたようだが、兵士クラスは多分ドルイドの神々だったろう。。
ともかく、マクセンティヌスを一撃で屠り、ローマの主となったことで皇帝レースでは完全に優位になった。そしてこの凱旋門にも書かれている、「正義の戦争によって暴君を滅ぼした」と。まったく勝てば官軍という日本の言葉は世界共通である。
下はコンスタンティヌスの凱旋門
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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