ナポレオン11-革命は終わった

1800年2月7日、共和国8年憲法は、国民投票で圧倒的多数で制定された。というか、この憲法は、議会ではなく、第一統領に権限が集中することになるものだったから、自由・平等・博愛はどこへ行ったのかと?しかし国民は革命でもらった(奪った)資産を守りたく、強大な権力が欲しかった。

公布に合わせて発表された「フランス人に告ぐ」という宣言では、「それを始めた原理のうちに革命は固定され革命は終わった」と述べた。いやいや所有が貴族からブルジョワに、ブルボン家がナポレオンに変わっただけでしょうと。そしてそれが「歴史の終わり」でないのはいうまでもない。

ナポレオンがまず行ったことは統領政府官邸をチュイルリー宮殿に代えることだった。この宮殿はカトリーヌ・ド・メディシスが創り、ヴェルサイユができるまで王宮だった。この移転にはブルボン家さながらの6頭立て馬車でのパレードが行われた。さらに革命中に描かれたフリージア帽の落書きも消されたという。

ナポレオンはさらなる勝利を必要とした。第二次対仏同盟で、フランス征服地は押し戻されていたのである。ナポレオンは、一番勝利が簡単そうだということでイタリアを選ぶ。革命戦争はナポレオン戦争となって欧州中をまた巻き込んで続いていくのである。

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。