近代とキリスト教2-近代神学の父シュライアマハー

1799年「近代神学の父」「自由主義神学の祖」といわれるフリードリヒ・シュライアマハーの「宗教とは」が出版された。彼はまず当時の知識人達の意見として「宗教とは濁った重苦しい大気のように真理の一部分を取り巻き、たちこめている。だから宗教はむなしいのだし、我々はそれを軽蔑するのだ、という」と述べている。

現代ではない、当時としても啓蒙主義の中で宗教を軽蔑するのが知識人のなかで主流となっていたことがわかる。そこで、シュライアマハーは、宗教は「心情の問題」というのだ。宗教とは直観と感情であり、宇宙を直観しようとすることだ、という。

これは日本人にはわかりやすい。滝や大木や森林の中で、何か大きなものの感情を抱くのは誰でも経験する。日本人だけではなく現代人も、宇宙を直観しようとしてヨガや禅をする。彼以前にもイエズス会のロヨラなどは神を直観しようとしたし、マルガリタ・アラコクは神と心臓を交換した。

そしてシュライアマハーは、主著の「キリスト教信仰論」では、さらに進んで、宗教感情とは無限者への絶対依存感情だとして、その最高がキリスト教だとする。シュライアマハーは、理性よりも個人感情を優先するロマン主義の時代に神学を適応したものだといえる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

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