大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ12-改宗

元皇帝マクシミアヌスの敗北はコンスタンティヌスの力を大きくした。翌311年、正帝ガレリウスがキリスト教寛容令を発布。もはや何の遠慮もいらなくなった母ヘレナは、正式にキリスト教に改宗して、トリーアでキリスト教を広め、慈善活動を行った。

そしてその年、東の正帝ガレリウスが病死、あとを西の正帝であったリキニウスが継ぎ、彼はシルミウムに移動した。西正帝は不在、というかもう任命する力さえなくなり、実質西の皇帝はコンスタンティヌス、そしてイタリア皇帝はマクセンティウス。西副帝マクシミヌス・ダイアも皇帝を名乗った。

もうローマ帝国は分裂状態である。ここで東方を支配するマクシミヌス・ダイアは、寛容令をきつく解釈して、キリスト教迫害を継続、ローマへの帰属を強制した。もとより東方はローマが浸透しておらず、他皇帝と対抗するには、強力な統治をする必要があった。

ローマを支配するマクセンティヌスももちろん、ローマ貴族の支持を得るためにはローマの神々を復興しなければならない。ここでキリスト教に寛容な方と、あくまでローマを復興しようとする方に分かれることとなった。

下はコンスタンティヌスと聖ヘレナ まあ時代考証はおいといて

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。