ナポレオン4-ミラノ入城

ナポレオンは、勝手にサルディーニャと休戦協定を結んだが、政府からはお咎めなしだった。彼は占領地支配について大胆になってゆく。ともかくサルディーニャから賠償金をとって、兵に金を配ることができた。こうなれば、兵もさらに進軍したくなる。軍は、オーストリア軍を追撃してミラノを目指す。

5月10日、ロンバルディアの中心部ロディで、仏軍は墺軍を捕捉。橋を挟んでにらみ合う。夕刻になってナポレオンは「橋に怯むな」と演説をすると、巨漢デュバスが志願し、橋に突進。死体を乗り越えて進む。墺軍はその気迫に恐れて逃走したため、仏軍が勝利。この戦いはナポレオン伝説の最初の章となった。

5月15日、ナポレオンはミラノに入城した。1839年スタンダールは「パルムの僧院」で次のように描写する。「カエサルとアレクサンドロスが何世紀もたってようやく後継者を得たことを世界に知らしめた軍隊である。この数カ月にわたってイタリアで展開された、奇跡のような勇気と才智は、眠れる民衆の目を覚まさせずにおかなかった」

ミラノは16世紀のフランソワ1世の進撃以来ミラノはフランスと神聖ローマを行ったり来たりした。墺軍が撤退したのも裏切りを恐れてのことだろう。しかし目を覚まされたのは、こんな豪華な都歓迎に初めて遭遇した平民フランス軍だったろう。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。