1796年3月9日、ナポレオンはジョゼフィーネ・ド・ポアルネと結婚した。彼女はその頃、総裁政府のトップのバラスの愛人であり、ていよく押しつけられたという疑惑がある。そしてその後すぐイタリア遠征に出発する。革命中には遠征に行ってる間にクビになることがよくあった、確かに担保として考えられる。
総裁政府は不安定で、アッシニア紙幣の暴落が止まらず廃止され、地方では何と物々交換経済になった。5月25日にはクーデターを企んだバブーフが処刑された。彼は私有財産と否定し、共産主義という言葉を最初に使った。しかしルソーからロベスピエールの流れから当然出てくる思想といえる。
イタリア遠征軍は3万人と60門の大砲、しかし兵の給料は未払いで、士気は低い。ナポレオンは最初の訓示で「豊かな地方と大きな都会が手に入る」とまるで盗賊のようなことを言ったがぶっちゃけ事実である。しかし人のホンネの心を掴むというポピュリズムには最初から長けていた。
4月12日に緒戦がフランスとの国境付近モンテノッテで行われた。ナポレオンは、オーストリア軍とサルディーニャ軍が離れていることを利用して、オーストリア軍前衛を撃破した。その後2つの戦いにも勝利して、トリノに迫り、サルディーニャ王国を1か月で降伏させた。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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