ロシア帝国の道21-第三次ポーランド分割

1794年、ポーランドではコシチュシコの蜂起が起きた。彼はアメリカ独立戦争にも義勇軍に参加し、第一次分割戦争に敗れてからはパリに亡命してその前年に帰国していた。ロシアのエカチェリーナは、これを見て自分のことは棚にあげて、フランスのジャコバンの陰謀だと思った。

エカチェリーナは、フランス革命の影響が隣国に及ぶのを決して許さない。さらにポーランドが、動乱時代のロシアに攻め込んだことも忘れていない。プロイセン領でも蜂起が起きたことを契機に、普国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世に、ポーランド全土分割を提案する。

ポーランドの反乱は11月までに鎮圧され、95年10月24日、オーストリアも含めた3国で、ポーランドの最終分割が決定され、11月にポーランド王スタニスワフ2世アウグストは強制的に退位させたれ、ロシアに連行された。ロシアでは、一応宮殿が与えられ、年金生活者となった。

11世紀からあるカトリックのポーランド王国はここに消滅する。エカチェリーナは、単にロシアの土地を取り戻しただけだ、と強弁した。この後、ナポレオン侵攻で、一時期ワルシャワ公国ができたが、ナポレオン失脚の後、1世紀以上ポーランドは祖国なき民となる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。