実は政治のカメレオンたるフーシェも、反ロベスピエールの一員だった。彼は1794年4月、公安委員会からの出頭令状を受け取った。容疑はリヨンでの弾圧の際、私腹を肥やしたということである。彼は、議員として公安委員会へは出頭せず、国民公会で直接議員に弁明して虎口を脱した。
しかしこのときから、フーシェはロベスピエールの敵となり、同じくリヨンに行ったコロー・デルボアや、ナポレオンのトゥーロン制圧を監督し、やはり汚職をしたと告発されていたポール・バラスなどと組むことにした。ジャコバンクラブを舞台として根回しをしていたのだ。
実はフーシェは議員になる前に、アラスでロベスピエールと会い、彼の妹シャルロッテと交際していたという昵懇の仲だったのだ。そして5月、フーシェはジャコバンクラブ会長となり、ロベスピエールと論戦するが、それに負け、ジャコバンクラブを追放された。
もはやフーシェらの方法は、ロベスピエールを葬るしかない。フーシェは暗躍し「二週間以内にロベスピエールを倒さないとあなたが危ない」という手紙を書いたり、話したりしていたようだ。7月27日、「テルミドール9日のクーデター」で、国民公会の議長となっていたのは、コロー・デルボアだった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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