皇帝ディオクレティアヌスは、自分の周りに官僚を集めて統治を行うようになった。ローマ帝国というのは、一応皇帝と元老院の二本立てで、皇帝は元老院の承認が必要で、政治も元老院が補佐をすることになっている。これは現在でも議会上院がこの機能を果たしている。しかし、当時軍人帝時代にはまるで役に立たなかった。
ディオクレティアヌスも、いちいちうるさい長老など必要としない。だいたい帝国は大きく発展し、もはやローマが中心でもなかったし、ローマ貴族も何の力もなかった。彼は皇帝個人に力を集て「専制君主(ドミナートゥス)」となろうとしていた。となると、皇帝に直に権威が必要となる、それは神であった。ローマの神々を彼が再復興しようとした理由もそこにある。
皇帝は、ローマの神々への礼拝を帝国民に命じた。これは改宗しろということではない。ともかく皇帝の権威にひれ伏せということであった。しかしそうしない者も居た、キリスト教徒とユダヤ教徒である。303年、皇帝は教会の破壊、聖職者の逮捕にふみきり、かつてないキリスト教への弾圧を行うこととなった。
キリスト教への迫害はネロが有名だが、その頃は教徒は、「人間の生血を吸っている」とかの誤解もあった。今回は教徒が、帝国に浸透して市民権を得ている中での意識的な弾圧である。
下はクロアチアにあるディオクレティアヌスの宮殿
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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