ロベスピエールは「理性の祭典」にはダメ出しをしている。なぜかというと理性は情念の言い訳になってしまうときがあるから、というのである。かつて彼は啓蒙的理性の信奉者だった、しかし言論の自由によって理性が勝利するかというと、中傷やデマがはびこり、どんどん対立が深まった。
そこでなんと彼は「神」を創造しようというわけだ。彼は神や不死が夢であろうとも、人間が思いついた中でもっとも美しいものだ、という。最後に正義が勝利するはずだ、という信仰こそ、宗教的形式ではなく、民衆の道徳=行動様式の根幹にあるべきだというのだ。そのためのシンボルが必要である。
まあ彼は最高存在の実在と魂の不死を法案にしようとする。これは独裁者共通の矛盾というべきか、法律で強制されると、その神=独裁者の絶対化になってしまうのである。実際宗教というものは、これまで見てきたように、為政者がつくり出すものではなく、無私な宣教者の貢献によって作り出されてきた。
ロベスピエールの考えを美しく結晶化したものは、ベートーヴェンの第九交響曲かもしれない。神は出て来るが、キリスト教の神とは限らないので、日本人でも平気で歌うことができる。しかも音楽は理性ではない。だが、今度はワグナー音楽のように高揚感が政治利用されるから、なかなか難しいものだ。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
0コメント