大帝コンスタンティヌスの母ヘレナ3-論争

ギリシャ・ローマの神々は確かにちょっと神としてどうよ、という神が多い。その時代の哲学者達もそれを信じていたわけではない。それは至高なる神の単なる表れにすぎない、と考えていた。だから神々の像そのものを礼拝するのではない、とカトリックが、聖像を崇敬するようなことを言っていたのだ。

そういう意味では、ローマの神殿に礼拝しても、自分の信じる神を否定するわけではない、ところがキリスト教とユダヤ教は、自分の神しか礼拝しない、という。ユダヤ教は、割礼などのしきたりがあり、ハードルがある。ところがキリスト教にはそんなハードルがない。誰でも教徒になれるのだ。

哲学者と神学者での論争では有名なケルソスとオリゲネスの論争がある。哲学者ケルソスがキリスト教をかなり研究した「真理の言葉」という本を書き、神学者オリゲネスがその反論の「ケルソス駁論」を出した。

ケルソスは詳細にキリスト教を攻撃しているが、特に至高なる神が、人間の肉体に宿って死んだ、ということを攻撃している。イエスはローマへ反逆が失敗した者を神にでっちあげたのだ。実は近代にもイエスキリストは宗教を離れてそう解釈でされているが、早くもローマ時代にもそう思われたのだ。

下は哲学者ケルソス(左)と神学者オリゲネス(右)

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。