仏王処刑25-私は無実のまま死ぬ

死刑が決定してからも減刑の運動があった。なんとあのアメリカ独立の契機「コモンセンス」を書いたトマス・ペインが「アメリカに亡命させて市民にする」と提案したそうだ、彼は共和制新憲法作成にも参加していたのだが、コモンセンスが通じる状況ではなかった。彼は後に逮捕されたりする。

死刑決定の2日後、1793年1月21日ルイ16世は革命広場と名付けられた現在コンコルド広場、元ルイ15世広場でギロチンにかかった。最後の言葉は「私は無実のまま死んでゆく。私に死刑を宣告したすべての者を許し、諸君が今流そうとしている血は、決してフランスに必要なものでないことを祈りたい」だった。

処刑に臨んだルイの平静な態度は感動を呼んだ。処刑人サンソンは、「彼の気善たる態度について、宗教的規範を彼以上に感得し、理解していた人はいないでしょう」と手紙に書いた。国王ルイ16世は、最期に彼自身の国王たる姿を民衆に示すことができたといえるだろう。

処刑によって、フランスは確実に分断された。歓び騒ぐサン・キュロット達に対して、こっそりと悲嘆にくれ、祈りを捧げる者もいた、私刑がまかり通り、自由にものがいえない、恐怖政治は始まっていた。哲学者カントは、この処刑を「諸原理を完全に転倒させる」と批判した、実践理性はアプリオリではなかった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。