ヨーロッパの行進曲の起こりはトルコの軍楽隊である。トルコ軍は、ヨーロッパに攻めて来るとき、規則正しく太鼓やラッパを吹き、歌を歌って攻めてきた。16世紀にはその影響で神聖ローマには騎馬軍楽隊がおり、清教徒革命では市民戦争の道具として使われ、フランスでもルイ14世が本格化したようだ。
さて、フランス革命戦争勃発の5日後、ストラスブールのライン方面軍に所属していたリール大尉のもとに、市長が行進曲の依頼をした。彼は作曲の経験があった。彼は一日で「ライン軍のための軍歌」を書き上げ、1792年4月26日に初演され、皆の感激を呼び、彼は司令官に献呈した。
これが現在まで続くフランス国家「ラ・マルセイエーズ」の起源である。敵兵が家族の命を狙っているので武器を取って戦えという勇壮な音楽であり、現在はサッカーでよく歌うが歌詞としては物騒である。しかし当時の気分を捉えたうえで、普遍的な曲にしている。
しかし気合だけでは戦争に勝てない。フランス軍の指揮系統は崩壊し、1792年4月29日に下ネーデルランドで行われたマルカンの戦いでは、まず正規兵が逃げ出して大敗し、司令官ディヨンはなんとリールで暴徒に殺害された。総司令官のラファイエットは、オーストリアに和睦の手紙を書く。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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