アマデウスの旅28-悪妻?コンスタンツェ

モーツァルトの最後の容態が急変したことを妻コンスタンツェの妹が書き残している。それでも彼はレクイエムを弟子に指示していた。主治医がなかなか見つからず、来たときはすでに遅かったようだ。葬儀は弟子や友人達が手配し、三等で普通の葬儀ができたようで、聖マルクス教会の共同墓地に葬られた。

妻コンスタンツェが、あまりできなかったといわれているが、彼女には7月に子供を産んだばかりだったのである。しかし彼女は夫の借金もあり、子供をかかえ奮起せねばならなかった。まず、さっそく12月11日には、年金をもらえるよう、皇帝に嘆願書を書き自ら手渡すことはできたようだ。

年金は翌年からもらうことができ、彼女は自分で夫の曲の演奏会を開き、歌手を務めた。そしてその中でライプツィヒの敏腕音楽出版者と知り合い、モーツァルトの音楽全集と伝記の出版計画を立てるのである。しかしこの出版も、彼女は他社と両天秤にかけて交渉したというからなかなかのものだ。

さらに、最後の作品「レクイエム」も、ヴァルゼック伯爵に渡したものと別の写譜も持っていて、他のところで演奏させて収入を得た。こうして1797年には借金を返し終えて、1809年に再婚し、夫の伝記を出版した。妻が夫を有名にしたのは、マーラーや古関もそうだが、コンスタンツェは生前から才能発揮していればと惜しまれる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。