仏王処刑3-人権宣言発布

1789年8月26日、有名な「人権宣言」が国民議会で発せられた。起草したのはラファイエットで、在仏米代表大使ジェファーソンの助言も得たそうだ。確かにアメリカ独立宣言と相似している。双方とも「自然権」思想に拠っている。しかし独立宣言は、「創造主によって与えられている」と書く。

一方「人権宣言」は、「最高存在の前にかつ庇護のもとに宣言する」という、より人間の主体性のほうが表れている。議会の中には啓蒙主義的な高位聖職者も多く、納得できるセンともいえる。しかし、この後カトリック教会が攻撃され、「最高存在の祭典」なるものができて国内が混乱に陥る要素はうかがわれる。

しかし「人権宣言」は、憲法の精神を要約したもので、憲法の論議は議会で続けられた。急進派は、議会絶対主義で、議会の左側に座った。これが現在も続く「左派」の由来である。一方穏健派は、議会右側に座り、行き過ぎを恐れ、国王にも役割を与えようとした。

ミラボーは、急進派にもいい顔をしたが、王権は残すべきと考え、国王に議会の法律への「拒否権」を与えることにした。ルイ16世は、現実的な意見を述べ、行政権を求めた、そして議会への協力姿勢を示した。しかしロベスピエールら議会の左派は、議会の優先性を固執した。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。