仏王処刑1-「いいえ革命でございます」

1789年7月14日、ラファイエットの仲間のリアンクール公がバスティーユ陥落の報を国王ルイ16世に伝えた。国王は「暴動かね?」と聞くと、彼は「いいえ陛下、革命でございます」と答えたという有名なエピソードがある。ルイ16世も彼に詳しくきくことでようやく事態の深刻さを呑み込めた。

16日国王会議が開かれたが、ブログリー元帥は、パリ攻撃はできないと言った。王妃と王弟は、脱出を主張したが、元帥は安全が保障できないと言う。パリではパリ代官も処刑され、国民議会議長バイイが市長となり、ラファイエットが市民軍の司令官に就任した。

17日、国王は簡素な出で立ちで、パリに出発した。その後のヴェルサイユに居る市民のほうが多かった。そしてパリでは新市長バイイが迎え、国王万歳が響いたのだ。バイイはパリの鍵を渡してアンリ4世のパリ入城になぞらえた。「アンリ4世は人民を征服しましたが、今や人民が国王を征服したのです」

ルイ16世への国民の期待は、国民と和解して、ナント勅令を発したアンリ4世の役割だった。市庁舎前には「フランス国民の父にして、自由な人民の王ルイ16世」と書かれたアーチがあった。ラ・ファイエットは、パリ市民軍の赤青にブルボン朝の白を入れた。これが三色旗の始まりと言われる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。