フランス革命の道32-バスティーユ襲撃

さていよいよ有名なバスティーユの襲撃である。この施設はもともとパリを防御する要塞だったが、リシュリュー枢機卿がこれを監獄にした。以後王権に逆らう者が、裁判もなく「封印状」によって閉じ込められた。ところがだいたいが貴族であり、待遇はかなり良かった、なんとコックを雇って料理を作らせることもできた。

啓蒙の時代になり、反体制知識人が投獄され、出所したあとさも大げさなルポを出したので専制の拠点として有名になってしまった。そして実は評判も美観も悪いので、何とルイ16世は取り壊す予定だった、何たる運の悪さよ!

バスティーユに向かった市民軍の目的は弾薬だった。もちろん守備側はヴェルサイユからの命令がない。が、代表2名を交渉役として昼食に招待した。しかし交渉中もイラつく市民軍は力で突入しようとした。守備隊長ローネーは降伏をしようとしたが、市民側に拒否された。

中に居た囚人は何と7人、どれも政治犯ではない。守備隊長は、専制の張本人のような憎しみを浴びせられて殺された。そして市民はさらに商人頭フレッセルと共に槍の上に生首を刺して歓呼の声をあげた。この襲撃は実に大げさに飾り立てられて革命の神話となった。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。