フランス革命の道23-議員交流会ブルトンクラブ

一方で、三部会開催のため、1788年7月5日、検閲が中止され、11月半ばには、政府は団体活動の規制を撤廃した。今までパレロワイヤルでしゃべっていたことが世間に飛び出し、さまざまな言論クラブ花盛りとなった。

88年には63紙の新聞が発行されていたが、翌年には175紙になりどんどん増えていく。さらにパンフレットは、88年7~9月までで300タイトルのものが出された。もう氾濫であり、その多くは旧体制アンシャンレジームの悪口であり、現在のSNSのように根も葉もない噂が大量に出回った。

翌年三部会が招集されると、議員達はよくわからないので、外で論議する。ブルターニュ選出の議員達は、ヴェルサイユのカフェ「アモーリ」で会合を開いた。これがブルトンクラブである。このクラブには、他郷出身の議員も入ってきて、第三身分議員の交流会になってゆく。

全国の議員がやってきたパリは、さらに出版市場を大幅に拡大した。田舎から来た議員はその影響をまともに受けてどんどん急進化してついていく。革命開始後ブルトンクラブはパリに移動して修道院で会議を開く。この修道院の名をとったのがジャコバンクラブであり、元々は呉越同舟の政治クラブだった。

下はカフェ「アモーリ」の場所の標識

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