啓蒙の光24-実践理性と道徳の根源

1788年イマヌエル・カントは「純粋理性批判」の続き「実践理性批判」を出版した。前作では、真理を究極的に追究すれば二律背反に陥ると彼は書く。しかしそれを抜ける方法がある。それは人間の「自由意志」である。明日の天気の話で言えば、正確にはわからないが行くかどうかは自分で決めることだ。

カントはしかし、根本的な人間の行動を決めるのは「定言命令」だという。つまり無条件に「これをしなさい」ということだ。アメリカなら「コモンセンス」日本では常識、カトリックでは聖霊の導き、プロテスタント的には市民道徳、カントはそれを哲学的に言ったわけだ。

認識では二律背反だった神などは「実践理性」によって承認される。宇宙に永遠の神や法則があるかはわからないが、善悪を認識するのは絶対性を承認することだ。これは日常ではいいし、穏健な常識で世間は成り立っている。日本人はだいたい手を合わせて拝むなら神でも仏でもよい。

ところが、日常が壊れる場合はなかなか難しい。戦争などは「祖国を守れ」という定言命令で言われることが多いわけだ。カントの楽観的な啓蒙主義は、その翌年に起こるフランス革命で試練を受ける。「自由平等友愛」のコモンセンスは、とんでもなく過激化をしていくのである。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。