ロシアのクリミア併合は、予想通りオスマンを刺激した。1787年4月、オスマンはロシアに宣戦布告、しかしエカチェリーナ2世にとってはこれも計算の内で、戦争準備は十分整っていた。夫というべきポチョムキン公爵は、陸海軍大臣を兼ね、歴戦の雄スヴォーロフ将軍は3万人を率いて、ドニエプル河口に待機していた。
スヴォーロフは、キンブルン要塞に攻撃してきたオスマンを撃退し、ウクライナのオチャーコフ要塞を攻め、これを包囲する。そしてオチャーコフ港に居たオスマンの海軍を、クリミアのセヴァストポリ艦隊が撃滅した。この勝利で、オチャーコフ要塞を6カ月の包囲の後に陥落させた。
神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世は、ヴァルカン奪回のチャンスとばかりロシアとの同盟義務で戦争に介入し、墺土戦争も勃発した。しかしロシアは、黒海で戦ったため、ヴァルカン方面はオスマンがベオグラードに兵をまわし、オーストリアは結構苦戦を強いられた。
そしてまた、この戦争は、穀倉であるウクライナや、重要な交易ルートであった東地中海を舞台に戦われたので、フランスは食料供給ルートを絶たれ、さらに戦争によって食料価格が急騰し、フランスの国民はますます危機に瀕することになった。悪いことに悪いことが重なった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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