さて1787年、この絶頂期のモーツァルトの住むウィーンに、16歳の後の楽聖ベートーヴェンが来ていたのは、よく知られている。彼が生まれたのはボンであり、当時ケルン司教領だった。そして支配していたのが選帝侯マクシミリアン・フランツ何を隠そう女帝マリア・テレジアの末子である。
ウィーン生まれのこの選帝侯は、そこから多くの文化人を呼び寄せ、ボンに文化の花を咲かせた。そして幼い頃から才能を見せていたこの少年をウィーン奨学旅行に行かせた。少年も音楽一家で英才教育を受けていたが、さすがに田舎であり、モーツァルトの神童っぷりには及ばなかった。
伝説によればベートーヴェンはアマデウスにピアノを披露したところ、アマデウスは隣室の友人達に「彼に注目したまえ、今に世界に名を轟かせるだろう」と言ったことになっている。小学校の偉人伝で読んだものだ。
残念ながら、この頃のアマデウスは多忙を極めたうえ、父の病気を心配していた。よほどの紹介状がない限り会うのは難しい。しかしベートーヴェンが、アマデウスの演奏会に行き、彼のピアノを聞いたのは、後年弟子に語っている。とりあえず楽聖も母が重体で2週間ほどで、帰ることになる。そして5月28日にアマデウスの父レオポルトも亡くなるのである。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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