アマデウスの旅13-劇作家ダ・ポンテとの邂逅

1782年初め、ロレンツォ・ダ・ポンテがウィーンにやってきた。彼こそは、これからモーツァルトのオペラ台本を作り、共にスターダムに登る男である。この男はイタリア人で神学校の教師をしていたが、女好きで啓蒙思想かぶれで追放され、ドレスデンで宮廷詩人のアシスタントとして腕を磨いた、とき33歳。

ウィーンではあの映画「アマデウス」の悪役宮廷楽長サリエリへの紹介状があって、さっそくオペラ台本をつくった。当時皇帝ヨーゼフ2世のドイツ国民オペラ構想は評判が悪く、再び陽気なイタリア喜劇が人気を博していた。しかし処女作は当たりをとれなかった。

アマデウスは、父の許しを得ず勝手に結婚して自立を果たした。生活のために、貴族のレッスンをしたり、音楽界に招かれたり多忙な日々を送った。83年3月23日には皇帝来席のもと、リサイタルが行われ大成功した。ここで交響曲第35番「ハフナー」が初演されている。

その後アマデウスは、故郷ザルツブルクに錦を飾った。しかしその間預けていた子供は亡くなってしまう。モーツァルトは再びオペラを作りたくなり、台本作家をイタリアまで探す。その中にはダ・ポンテの名もあった。しかしダ・ポンテもサリエリの第二作に忙しく、「ときあらば」というに留まった。

下は今になってできたダ・ポンテのオペラ「フェニックス」

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キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。