1781年10月22日、仏王妃マリー・アントワネットは、とうとう男子を出産した。そのとき夫ルイ16世は、そのことを記録しているから、マメな旦那である。このときマリー25歳、第一子を出産してからは順調で、4人の子供を産んでいる。最初はぎこちなかったが夫婦生活も安定してきたのだろう。
王太子が生まれたときは、その場の女性達が大喜びで、あちこち触れてまわった。ルイ16世はまずその子に洗礼をさせた。なんと王妃は生まれた子が男子か女子か知らされず、目に涙を浮かべたルイ16世が告げた。そのとき王妃は「この子は国家のものです」と言ったという。
翌82年、1月22日、正式な祝賀会が開催された。その頃には、パリ市も財政が窮乏してきており、結婚祝賀会のような花火打ち上げとはいかなかった。アメリカ帰りのラファイエットは、特別に招かれて馬車の傍に一人で近づき、マリーの手にキスする栄誉を与えられた。
2日後には、1万3千人の大仮面舞踏会が開かれたが、その倍ほどが参加したらしい。王妃マリーは今回はホスト役として、自分一人はしゃぎはしなかったようだ。王室にとっても、マリーにとっても、この時期は幸福の絶頂といえる時期だったかもしれない。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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