フランス革命の道16-ルイ親政宣言と反発

王太子誕生の宴会のさ中、パリのノートルダム大聖堂の扉に、その子は不義の子だ、とのパンフレットが貼りだされていた。そして私生児を自分の子供とする間抜けな王という歌が出回る。こういうデマは特段気に留めることもなかっただろう。しかしそれはこれから作られる国王夫妻のイメージを見事に示している。

王太子誕生の翌月、1781年11月21日、老宰相モールパが死去した。アメリカ独立戦争でイギリスの鼻をあかし、王太子が誕生したルイ16世は自信に満ち、「余が統治する」と親政を宣言した。確かにブルボン朝を再建するには絶好のチャンスといえたが、簡単ではない。

米独立戦争の宴が終わろうとする頃、実はフランスは分裂していた。貴族達は絶対王政の中で足の引っ張り合いをして、とりわけ王妃のポリニャック派を落とそうとしていた。さらに王太子が生まれて、継承順位が下がったオルレアン公などは、野党となり、国王批判に力を与える。

一方、米独立戦争は、理想主義に力を与えた。啓蒙主義者が考えられなかった大共和国が出現した。それに愛国主義が加わる。ブルボン家のさらなる継承が見えたところで、新しい時代を希求する者達は、ブルボン絶対王制そのものへの批判を強めていくのは自明だったかもしれない。

下は王牛耳ってワイロをもらっているアントワネットの風刺画

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。