1781年2月19日、財務長官だったジャン・ネッケルは、「財務報告書」を発行した。これは何と10万部も売れたらしい。ネッケルの狙いは、国債の引受人に財務状況を透明化して財務の改善状況を公開して安心させたかった。また同時に民衆の支持で、アンシャンレジームの抵抗に対抗させたかったのだ。
もとはといえばルイ14世の極度に様式化された王室典範にある。アントワネットが毎朝服を着るときでさえ、1着を取り出して着るまで数人が関わっていた。おかげで王妃はその間裸で待つハメになり、何とかこれを取り消した。国王の食事にはもっと人がいて、国王も腹を空かして待っていた。
絶対王政とはいうものの、売官制度によって、財務制度も肥大し、金の流れが詰まっていた。ネッケルはこれも合理化して、国庫に金が収まるようになった。しかし王室などは、〇〇役ということが権威の象徴となっていた。江戸時代の旗本とよく似ているかもしれない。
この財務報告書は、ネッケルの狙いとは逆になった。報告書のおかげで、王室の維持費が、公共事業の7倍、軍の維持費の半分ということが市民にわかってしまった。批判者達はこの報告書を「王家の傷」とみなし、彼を攻撃、もはや国王もかばいきれず、ネッケルを罷免してしまう。
下右は財務報告書の風刺右は財務報告書
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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