大王対女帝29-マリア・テレジア崩御

1780年11月29日、オーストリア女王マリア・テレジアが63歳で崩御した。彼女が王位に就いてから、オーストリアは神聖ローマ帝国と実質分離して独自の近代帝国の道を歩んだ。彼女は、貴族の領主国家から、官僚による中央集権国家を整備し、税制も国家主義に整えていった。1754年には国勢調査を実施した。

また領主に任されていた裁判を国家が行うようにしたことも画期的であり、領主層の住民への権力を国家に替わることに大きな力があった。さらに欧州に先駆けて、全土に小学校の義務教育を施行した。これはイエズス会禁止を逆手に取り、彼らを教員としたのである。

実は、敬虔な彼女もローマ教皇に逆らって宗教政策改革を行っている。年の3分の1もあった宗教休日を減らし、聖職者にも課税、修道院の建設をストップした。貴族の相続を修道院に寄進するのをやめさせるため、相続手続きは行政が行うことにした。フランスでは聖職者課税は革命の一因ともなった。

彼女は、ハプスブルク家のならいにより、子女を各地に嫁がせて、帝国の安定につくした。男子は5人だったが、最後の5男は聖職者にしてケルン大司教にした。宿敵フリードリヒ大王は「彼女と戦ったが、彼女の敵ではなかった」と言っている。仏王妃アントワネットは最後まで気に病んでいた。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。