フランス革命の道10-アントワネット初出産

ルイ14、15世と国王の公的愛人「寵姫」が幅をきかせた。王妃は子を産むだけの存在だった。これはフランス貴族社会に蔓延し、愛人を持つのが当たり前になった。ルソーもヴォルテールも貴族夫人の愛人だった。そのヴォルテールもルソーも1778年に亡くなる。

ヴォルテールもルソーも啓蒙思想家として一世を風靡したが、迫害も受け、フランスにはおれず各国を流浪した。ヴォルテールが死んだとき、モーツァルトは「神をも恐れぬ悪党の親玉がくたばった」と手紙に書く。しかしこの後、彼は啓蒙を理解していく。

ルイ16世は、真面目で寵姫を持たなかった。しかし世間とは勝手なもので、アントワネットを寵姫代わりにした。とりまきもオーストリアも彼女を頼り、本人はいい事と思い、流れに乗った。子供ができない彼女にはポリニャック夫人と同性愛の噂も立った。

しかし78年彼女はめでたく妊娠し、12月19日に長女を出産する。国内から50人の貴族が来てこれを見、すぐパリの新聞が報じて、市民は皆喜んだ。ようやく務めを果たした王妃は、翌年春になると、またお忍びでパリに出る。あのフェルゼン様も帰ってきていたが、アマデウスは、パリに嫌気がさしていた。人間の出会いとは微妙なものだ。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。