アマデウスの旅9-喧噪のパリよさらば

その頃パリの音楽界では、グルック=ピッチンニ論争が起きていた。実はどちらもアントワネットが呼んだ作曲家である。実はパリの観客は、あまりイタリアオペラがお好きでない、特に長々とアリアを歌われるのがイヤである。これは、両国の演劇・文化的伝統の違いなのでいたしかたない面がある。

ピッチンニはナポリ派のイタリア人で、グルックはドイツ人だが、イタリア的オペラを改革し、ストーリーと音楽的統一性を重視しようとした。これは宮廷音楽から出発した従来のフランスの嗜好とマッチして、いつの間にかフランス派となってしまっていた。

この二派の論争は、今日のサッカーのレアル=バルセロナ論争のようなもので、マスコミの煽りのタネになり、興行師もその競争を狙った。そして両者に「タリウスのイピゲニア」という同じテーマを与えて競作させようとした。もはや音楽とは関係ないエンタメとしての競争である。

両者ともオペラを仕上げたが、もとより内容抜きの不毛な論争であり、グルックは嫌気がさし、1780年にウィーンに帰ってしまう。ピッチンニはパリに留まったが、味をしめた興行師は、また別の作曲家をけしかけようとした。パリの音楽界は社交の道具のエンタメになっていたのだ。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。