1777年12月バイエルン選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフが子供なく崩御した。神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世は、チャンスとばかり、プファルツ選帝侯カール4世フィリップテオドールを推挙し、その代わりに領土の1半分をオーストリアへ割譲することを求めた。フィリップはこれをOKしてさっそく墺軍が侵入する。
これには分家のカール3世も反対、オーストリアの拡大を望まないプロイセンのフリードリヒ大王は、ドイツ諸侯や露英と組んでボヘミアに侵入した。フランスといえば、同盟の約束上、プロイセンと戦わねばならない。アントワネットは、兄の催促でルイ16世に頼み、宰相や外相を呼んだがいい返事は得られなかった。
国王ルイは結構やっかいな立場だった。王妃は妊娠しており、優しい王は心配させたくなかった、産医師まで口出ししたのである。しかし、ここでフランスが介入すると、待ってましたとイギリスが出てきて、アメリカへの援助がやっかいになる。王は「皆私が悪い」と王妃に言った、何もかも優しい。
さりとて、イギリスとの戦争が公然化したとき、このせいでオーストリアにそっぽを向かれるとマズい。仏王は
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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