フランス革命の道8-ポリニャック公爵夫人

フランス国内でも問題が発生していた。ルイ16世が登用した財務総監テュルゴーは、重農主義者でアダム・スミスのように市場を阻害する規制をなくしたほうが、経済は発展すると考えた。しかし1775年の不作により規制をなくした穀物価格は高騰し、「小麦粉戦争」という騒乱がブルゴーニュからパリまで発生した。

テュルゴーは、またギルドを廃止し、行政官を監視する地方議会をつくろうとしたが、さすがに急進的改革は反発を招き、76年に罷免され、財務長官にネッケルがついた。彼は規制を元通りにしたが、宮廷に節約を提言したので、貴族からうっとうしがられる。

アントワネットは、ストレスを晴らしにパリで遊ぶ。宮廷ではプチトリアノン宮殿に、友達と一緒に。その友達がポリニャック夫人である。彼女は美しく美声だったそうだ。そして財産がないことで控えめな様子を見せ、王妃は正直さに感動した。「あの人と居ると私は私になれるのです」

しかしまあなんと兄皇帝ヨーゼフ2世まで77年4月19日にフランスにやってくる。彼は、なかなか子供ができない2人を個別に呼んで、子供のつくり方をアドバイスしたらしい。その結果?この問題は進展することになるが、兄はフランスの国情を視察して、やっかいな問題をこの後引き起こす。

0コメント

  • 1000 / 1000

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。