大航海時代26-クックのオーストリア発見

1768年8月25日、イギリス海軍のエンデバー号がプリマスを出発した、船長はこの後太平洋の大航海者として知られることになるジェームズ・クックである。この頃英仏は、新たな海外領土をつくるため太平洋に乗り出していた。スペインはその力を失い、オランダは東南アジアで忙しかった。

クックの表向きの目的は日食の際の金星の太陽面通過を観測することだった。ニュートン以来天文学は長足の進歩をしていた。しかし真の目的は、南半球にあるかもしれない未知の大陸を発見することだった。67年、68年には英仏がタヒチ島を発見し、南海の楽園として欧州に紹介されていた。

クックはタヒチ島で、海上地理に明るい現地人を連れ、69年10月6日欧州人として2番目にニュージーランドに到達、正確な地図を作り、さらにタスマニア島をめざすが、流されて広い海岸線を見つけた。それに沿っていくと4月29日に入江を見つけ、クックは初めてオーストラリアに上陸した。

実はクックの前にもオーストラリアを発見した欧州人はいる。クックはその後も航海を続け、これがある程度大きな陸地だと確認すると、1770年4月20日にこの領有を宣言した。クックはこの後第2回航海で南極圏にまで行き、第3回航海ではハワイ諸島を発見してそこで悲劇的な死を遂げる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。