アマデウスの旅6-喜劇オペラ偽の女庭師

ザルツブルクへ帰った翌年1772年、モーツァルト父子はまたミラノへ行く。というのも先年行ったときに、次のオペラの契約をしてきたからである。ローマ時代を題材にしたこの「ルーチョ・シッラ」は、困難の中でなんとか12月26日に初演されて、やはり好評を博した。

このオペラにはやはりフェルディナント大公も鑑賞し、父はまたもや仮病を使ってまで滞在を伸ばして就職活動を行ったが、マリア女帝の訓戒は厳しく、3月には故郷に戻ることになる。アマデウスはここで、イタリア風な「ミラノ四重奏曲」5曲を書き上げた。

73年7月、父子はまたウィーンへ行くが、就職の道は開けなかった。しかしウィーンでは、ハイドンの影響のもとで、「ウィーン四重奏曲」6曲が作曲された。そして帰郷後、5曲の交響曲を書く。中でも交響曲第25番や29番は、ハイドンの形式の中でモーツァルトの即興性が生かされ、今までにない壮大さを持っている。

故郷に戻ったのもつかの間、74年にはミュンヘンからやはり年末の謝肉祭用のオペラの依頼があった。今まではシリアスな「オペラセリア」だったが、今度は喜劇「オペラブッファ」である。「偽の女庭師」は、75年1月13日に上演されたが、コミカルな世俗オペラを書いた経験はその後に大いに生かされることになる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。