アマデウスの旅5-ザルツブルク大司教の死

1年3カ月をイタリアで過ごしたモーツァルト父子は、1771年中旬に故郷ザルツブルクに戻った。そしてここで待っていたのは、オーストリアからのオペラの注文である。女帝マリアの4男トスカナ大公フェルディナンドとモデナ公女とのミラノでの結婚式典のためのもので、当時の巨匠ハッセとの共演だった。

当時ミラノはスペイン継承戦争の結果、墺領である。父子は8月にミラノに入り、4週間で作曲を終えた。そして今回は稽古の邪魔も入らず、10月17日に祝典劇「アルバのアスカニオ」が上演され大好評を博した。ハッセは「この子は今に我々みんなを忘れさせてしまうだろう」と言ったといわれる。

大公フェルディナンドは、アマデウスを宮廷音楽家にしたかったようだが、なんと母女帝からダメ出しをされた。無用な人間を雇うと他の奉公人に悪影響を与えるというのだ。父子は士官に失敗して、またイタリアを訪問した。

12月15日、父子は故郷に戻ってきたが、その翌日シュラッテンバッハ大司教が死去する。この大司教はまあ楽長である父に仕事をほったらかしてあちこち外遊を許していたのだから、実に寛大な人と言われている。そしてその後任となったのがコロレド大司教である。この大司教はアマデウスを有給の宮廷音楽家にしてくれたが、彼が成長するにつれ不満がつのることになる。

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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。