ポーランド分割に反対したのは女帝マリア・テレジアだった。ポーランドはカトリック国であり、いざとなればポーランドの保護も念頭に置いていた、まあやってることからすればロシアとあまり変わりはないといえるのだが。しかしポーランドへの介入は、またフランスを巻き込み、欧州大戦に発展しかねない。
イギリスもアメリカのことで手一杯で、そんな余裕はない。ということで英仏両国は、何の道義もないこの分割に賛成したのである。女帝マリアも、ここまで外堀を埋められては、「もうあなたの好きにすればいいわ」を息子ヨーゼフ2世にこの件は任せ、まるで関わろうとしなかった。
1772年2月19日ウィーンで分割条約が締結された。ロシアは現在ベラルーシの1部の白ロシアと呼ばれるロシア系住民の地域で一番多い領土を獲得した。第2番目はオーストリアで、南部のカトリック地域、プロイセンは産業の発展したプロテスタント地域を獲得し、東プロイセンと連結ができた。しかしそれはポーランドから海を奪うこととなった。
74年には露土戦争はロシアの勝利で終結し、ロシアはバルカンの占領地を返す代わりに、アゾフなど黒海の出口を得た。そしてオスマンからボスフォラス海峡、ダーダネルス海峡の通行権を得て、大きな力を得ることとなった。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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