ヴェルサイユ宮中に入ったアントワネットは、まず儀礼にとまどう。これはルイ14世から厳格に決まっていたもので、着替えにも儀式があり一枚一枚2,3人の手に渡る。王太子妃はそれまで裸で待っていなければならないのだ。さらに故郷では考えられない「寵姫」という習慣がある。
当時のルイ15世の寵姫はデュ・バリー夫人だが、厳格なカトリックの教育を受け、父母も浮気をしなかったマリーには存在がわからない、従って声のかけ方がわからない。そしてデュ・バリー夫人が王に訴えて宮中の事件となった。母マリアは手紙で「一言くらいなんですか!」と言ってようやく収まった。
また大国同士の結婚は初めから政治が絡んでいた。宮廷には親墺派と反墺が居た。さらに故国は彼女をフランスが親墺派となる外交官と考えていた。幼いマリーがまそこまで考えられたか定かではない。また仏王妃はすでに亡くなっていて、後見役が居ないのも不幸だった。
そこで故国が願うのは、一日でも早い息子誕生である。しかしまだ14歳と15歳である。母マリアも初出産は20歳、王太子は幸か不幸か真面目だったが、趣味が錠前つくりというオタクっぽさ。心配する母に、マリーは73年に「夫婦関係になれたと思います」というような手紙を送る、まあその程度である。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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