1769年ついにアントワネットの婚約が決まった。4歳年上の姉も考慮されたようが、その上の姉が67年にナポリ王と結婚直前で逝去したため、その代わりにナポリ王と結婚した。その姉は62歳まで生きる。というわけで、アントワネットの婚約はバタバタでちっとも準備できてなかったらしい。
ともかく家庭教師をつけて特訓したが、フランス語はうまくなり、会話の才知はあったが、勉学に集中するのは苦手だったようだ。母は、軽薄さや熱意の不足、自分の意志を押し通す頑なさ、そして意見を巧みにかぐらかす、と言っている。心配した母は毎月手紙をよこすように約束させた。
70年4月21日いよいよアントワネットは馬車52台でウィーンを出発した。5月7日国境のストラスブールで彼女はフランスに引き渡された。このときなんとまたまたゲーテがこれを目撃し、そこに結婚式にふさわしくない「王女メディア」のタペストリーがあったのを見たと後年書いている。
5月14日コンピエーニュでルイ15世と会った。その晩の宴席でデュ・バリー夫人を見かけ、翌朝女官に尋ねた。女官は愛人というわけにいかず、「王を楽しませる人」だというと、アントワネットは「私のライバルね」と答えた。結婚式は16日に行われ、行事が二週間続き、新王太子妃は皆を魅了した。
キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民
キリスト教なしに西洋史は読めないというほど深く痕跡を残しています。そういうキリスト教を念頭に置きながら、西洋史を読んでいこうと思います。もちろん批判的観点もおおいにアリ。 ローマ時代コンスタンティヌスから始まる長い物語、お楽しみいただければ幸いです。
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